大阪地方裁判所 昭和53年(わ)4792号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【説明】
精神障害者の刑事責任能力、特に心神喪失と心神耗弱との限界に係わる事実認定上、参考になると思われる。
(関係人仮名)
【判旨】
弁護人は、右各犯行当時被告人は精神分裂病に罹患しており、右各犯行はその影響のため心神喪失の状態でなされたものである旨主張し、検察官は、右各犯行当時被告人は精神分裂病に罹患していたとはいえその程度はさほど重篤なものではなく、右各犯行は心神耗弱の状態でなされたものである旨主張するので、以下この点について検討する。
2 <証拠>を総合すれば以下の事実が認められる。
被告人は、京都○○大学在学中の昭和五〇年一〇月ころ、当時大阪府××市内に居住していた姉乙野花子を訪問する途中、金縛りに遭い雷のようなものが落ちて来て身動きできなくなる異様な体験をし、また昭和五一年一二月ころ名神高速道路を歩行していて、トラックの運転手に保護されたことがあり、更に翌昭和五二年一月には「家族を滅茶滅茶にしてやる。僕の身体にキリストが乗り移つている。」と口走るなどの支離滅裂な言動を示していたところ、同年五月ころ郷里の鹿児島県△△市内において、「やりなさい。」という幻聴によりバスを待つている女性にいたずらをしようとして同女を押し倒したことからこれを契機に同市内の△△病院に通院するようになり、同年七月二〇日精神分裂病と診断されて同病院に入院し、同年一一月三〇日には不完全寛解のまま退院した後引続き同病院への通院加療を続けていたが、翌昭和五三年三月ころ当時休学していた◇◇大学文学部への復学を希望したため、右△△病院の今村医師から薬の服用と医師の定期診断を続けるように指示を受けて上阪した。ところが上阪後一週間位薬を服用したのみで、その後は右指示を守らなかつた被告人は、同年七月二〇日ころ郷里に帰省した際、またもや夜中に家の回りを歩いたり、焼酎を飲んでうめいたり、「小さな子供が一番けだもののように見える。」と言うなどの異常な言動を示したため、被告人の父親らは被告人の上阪に危惧を抱いていたが、被告人はその反対を押し切つて同年八月二六日ころ上阪し、同月三一日には公訴事実記載の各犯行に及び、本件保釈後の昭和五四年六月から翌昭和五五年二月まで右△△病院に精神分裂病の治療を受けるため再入院した。
3 以上認定の事実と鑑定人黒丸正四郎作成の「被告人甲野一郎精神鑑定書」及び同人の当公判廷における供述(以下前者を黒丸鑑定書、後者を黒丸証言、両者をまとめて黒丸鑑定という)を総合すれば、被告人は、昭和五〇年一〇月ころから、著明な異常行動や幻覚妄想を伴い、亢奮と沈静を繰り返す急性経過型・妄想幻覚型の精神分裂病に罹患し、現実世界と病的世界に思考が分裂し、自我機能の減退により現実社会への適応能力を著しく欠く状態に陥り、右のような病勢はある程度の動揺がみられたもののほとんど不治のまま昭和五五年二月ころまで持続していたこと及び被告人には右期間を通じて、自分の意思やそれに基づく言動が、自己の力ではなく幻聴を伴う自己以外の他者の力で動かされてしまう、いわゆる作為体験の症状があらわれていたことが認められる。
4 そこでまず本件各犯行時における被告人の精神分裂病の程度についてみるに、前認定のとおり被告人は昭和五三年三月ころ上阪した際医師から薬の服用や通院加療が必要である旨指示されていたのに、上阪直後僅かの期間薬を服用した以外には、本件各犯行時まで通院加療をうけたことがないこと、また本件各犯行の直前郷里で種々の異常な言動を示したこと、更に後段認定のとおり被告人は本件各犯行当日作為体験のあつたことなどの各事実と黒丸証言とを仔細に検討すると、本件各犯行時被告人は重症の精神分裂病に罹患していたことが認められる。
ところで、被告人は、本件各犯行の動機について捜査段階では取調官に対し、「事件当日正午ころ下宿にいたところ、突然頭の中に美しい女性の顔が浮かび無性に若く美しい女性の体にさわりたくなり、脅すためのナイフを持つて外出した。そして公訴事実第一の犯行に及んだが失敗したためもう一度同じような方法でいたずらをしようと思い、公訴事実第二の犯行に及んだ。」旨供述し、作為体験のことについては何ら触れていないのに対し、当公判廷では「事件当日下宿にいる時、外へ出て行きなさいという女の人の声が聞えたのでナイフを持つて外出した。」旨供述し(但し、犯意の発生時期やナイフを持ち出した理由については暖昧不明確な供述に終始している)、黒丸鑑定人の問診に対しても右公判供述と同旨の供述をしていることが窺えるので右のような作為体験の有無についてみるに、被告人は昭和五三年一〇月一一日に公訴事実第一の緊急逮捕された際、「悪魔にとりつかれて女の人を傷つけました。」と述べていること(司法巡査二名作成の緊急逮捕手続書)、本件各犯行がその態様からみてかなり衝動的なものであること、被告人は昭和五二年五月ころにも作為体験により本件と同種の犯行に及んでいること等にも照らすと被告人の右公判供述ないし問診での供述は十分信用するに足るものであり、以上を総合考慮すれば被告人は「外に出て行きなさい。」との幻聴に支配されて外出し、本件各犯行に及んだものと認めることができる。なお検察官は、被告人に右の幻聴があつたとしてもそれは単に本件各犯行の引き金となつたに過ぎず、本件各犯行の動機やナイフの携行等は右幻聴と無関係である旨主張するが、被告人は事件当日の正午ころに右幻聴を聞き、その約三〇分後にはナイフを携行して外出し、午後二時四〇分ころと午後四時ころには右ナイフを使用して本件各犯行に及んでいるのであつて、右一連の行動、特にその時間的接着性や黒丸鑑定書のナイフを持つて出たのは尋常の人間が持つて出ようというように自己決定したのではなく、作為的に声の力で持つて出た、すなわち「持たされた」という傾向(作為体験としての傾向)が存在することは確かである旨の記載(三八ないし三九頁)に鑑みれば、外出したことだけが作為体験によるもので、ナイフの携行や本件各犯行は作為体験に基づくものではないとの見解は到底採用し得ないところである。
以上のとおり、本件各犯行当時被告人は重症の精神分裂病に罹患しており、その一症状である作為体験に直接支配されて右各犯行に及んだものと認めるのが相当である。従つて当時被告人に是非善悪を弁別し、且つそれに従つて行動する能力が備わつていたとするには合理的な疑いが存するといわなければならない。
もつとも黒丸鑑定は前掲各事実を前提としながら、精神分裂病にも程度があるのであつて精神分裂病であるからといつて直ちに心神喪失であるとはいえないとし、本件各犯行当日の「出て行きなさい。」との声に対し被告人が苦しんでいること、犯行現場の便所で鍵をかけて犯行に及んでいること(各犯行につき)、被害者に騒がれて逃走していること(公訴事実第一の犯行につき)及び本件保釈後の入院加療により被告人の精神分裂病はほぼ寛解状態になつていること等の諸事実を根拠に、かすかながらも自己抑制力が残存していたと認められるので、被告人は本件各犯行当時心神喪失に近い心神耗弱の状態にあつたとしているので、この点につき付言するに、なるほど精神分裂病であるからといつてその症状如何にかかわりなく直ちに心神喪失であるとの見解を採り得ないことは黒丸鑑定所論のとおりであるけれども、被告人は本件各犯行時重症の精神分裂病に罹患し、本件各犯行はその一症状である作為体験に直接支配されてなされたものであることは前判示のとおり疑いの余地のないところであり、また黒丸証言自体、被告人が「出ていきなさい。」との声に苦しんだこと、すなわち行為の是非善悪の判断がある程度できたことを是認しながらも、さらに進んで、被告人自身その声に打ち勝つて犯行を止まるだけの制御能力を有していたかどうかについては納得できる証言がなされていないこと、また前認定の本件各犯行の衝動性や前記精神分裂病と本件各犯行との結びつき及び思考が分裂し著しく情意が鈍麻する精神分裂病の特質等にも徴すれば、一見責任能力の存在を窺わせるような右諸事実も、是非善悪弁別能力をわずかながらでも肯定する根拠となり得ても、前記作為体験に直接支配された結果、右弁別に従つて行動する能力がなかつたのではないかとの疑問を払拭するに足るものとは認め難い。
三以上の次第であるから、被告人は本件各犯行当時重症の精神分裂病に罹患していたため刑法三九条一項にいう心神喪失の状態にあつたと認めるのが相当である。
(大西一夫 平弘行 氷室眞)